"スキルと捉える" スキルについて

公開日: 2021-2-16 / 更新日: 2024-3-14

Overview

"それをするスキルがなかった"、と捉えることについて少し考える機会があったので筆を取ってみます。

TL;DL

本エントリで述べたいことは以下の3つです。

  • できないことや実力不足を痛感したときに「スキルがなかった」と捉えてみる。
  • "スキルとして捉える" ことで、次のチャンスまでに "どんなスキルをつけておけばいいのか?" ということを具体的なアクションとして設定することができる。
  • そもそも失敗したり、うまくいかないことがあったところで「スキルがないんだからしょうがない」とまずは割り切って考えることで心を守る && 事実を客観視できるようになる。

なんでも背負い込もうとすると心が疲弊するので、まずは事実を客観的に突き放しておき、冷静になってからできたこと・できなかったことに分けて振り返り、次のアクションに繋げていくという仕組みを自分の中で作ることで、心を守ることができると思う、ということを書いてます。

どうして書こうと思ったのか?

冒頭に記載してますが、ちょっとこのことを考えるきっかけになることがあったことが理由です。

何かできないことがあったり、手痛く失敗したり、そもそも実力不足を痛感したりするケースは仕事をしてたり、もっというと生きている限りいくらでもあると思います。そしてその度に心が疲弊しますよね?

真面目な人、熱心な人ほど、失敗やうまくいかなった事象に対して自分ごと化して抱え込んでしまう傾向ってあると思います。

自分ごと化すること、それ自体はとても素晴らしいことで、誰でもできることではありませんが、心の体力がすごく持っていかれます。これが続くと、下手をすれば心を病んでしまいます。

この心を疲弊させないための工夫と客観的に事実を見る余裕を持つために、あえて「スキル」という概念を持ち出してみると考え方が変わるのではないか?と常々感じていたので、このエントリを吐き出してみました。

初めてのことはできなくて当然と考えて「も」良い

僕も前職で一番最初に受け持ったプロジェクトで何も力になることができずにそのプロジェクトが Pend になったことがあって、凹んだことがあります。 (多分周囲にはそんな風に見えてなかったかもですが...)

当時はシンプルに力不足を痛感する出来事でめちゃくちゃ落ち込みました。

この失敗の振り返りを当時の上司との 1on1 でやった時に

「なんでできなかったと思う?」

と聞かれたんですよ。

そう聞かれた当時の僕はいろいろ考えてたと思います。そもそも自分一人でプロジェクトを持つのが初めてで何をすればいいかもわからなかった時だったので、後から考えると

  • 関係者間で合意すればよかった
  • スケジュールを先に決めるべきだった
  • 仕様を先に固めるべきだった
  • そもそもの要件を先にまとめるべきだった
  • 最初からコードを追うべきではなかった

まぁこんな感じであげればキリがないくらい色々出てきましたが、これらって結局のところ枝葉の失敗理由なんですよね。なんとなくそれを自分でも感じてて、どの失敗理由もピンときてなくて、最後の最後に苦し紛れに出てきた言葉が「やったことがなかったから」だったんですよ。聞く人が聞いたらもちろんこれは 逃げの発言だし、言い訳にも聞こえてもおかしくない ですが、当時の上司からは

「それは仕方ない・初めてのことなんだからできなくて当然。」

と言われて、僕はものすごく救われたんですよ。

「あーそうか、僕はそれをやり切るスキルがなかったんだなぁ」と自分で捉えることができて、そうするとある程度 次はしないこと や 次はすること を冷静に分けて考えることができました。

正直あのまま、枝葉の一つ一つに対してアクションをすることを決めて〜というような方法を取っていたら心が折れていたかもしれません。

当日の自分に不足していたのは、 枝葉の課題を解決するための実践的なスキルではなく仕事を進めるための根本的な考え方、観点およびそれらをベースにした仕事を進める上での大元の"スキル" だったので。

できないことで自分を極端に追い詰める必要はなくて、むしろ初めてのことにチャレンジしてえらい!くらいに思うこと、やったことないからできなくても当然、と考えて も いいということです(※)。

※ 当たり前ですが「次はできるようになっているべき」です。

観点や考え方、それ自体もスキルである

いわゆるソフトスキル的な考え方です。

異論はあると思いますが、僕は観点を持つことやその観点をベースに考えることができること、それ自体すらもスキルだと捉えています。

理由は、そういう観点を持っていない人がその観点を失敗した時点で持つことはできないし、そもそも持っていたら失敗していないだろうし、観点を持っていない人がいきなりその観点を持つことは無理だからです。

ある事象に対しての観点と、その観点から導き出される思考や意思決定の判断基準(それらをまとめたフレームワークなど)まで含めてスキルと捉えましょう。

個人的には守破離の原則が好きなですが、守破離の原則のように考えています。

観点や思考のフレームワークも丸ごとスキル(仕事の基本の型)として教えてしまうべきだし、覚えてしまうといいと考えています(守の段階)

どうしても「持つ者」は「持たざる者」の気持ちに寄り添えないことが往々にしてあります。

できるやつはできないやつの気持ちを理解するのが難しい問題です。自分だって過去はできない側だったはずなのに....(一部のずば抜けた天才は除きます。)

暗黙知を形式知にする

「持つ者」はどうして「持つ者」になれたのか?、ということを過去の振り返って幾つかのスキルとして切り出し、再現性を持って下に続く世代のベースを向上させるための材料を作ることができます。

いわゆる 暗黙知を形式知にする というやつです。

個々人の経験による暗黙知を平準化すればそれが教育のコンテンツになるかもしれません。

まとめ

色々脱線しましたが僕がこのエントリで言いたかったことは、できなくても気にすんな。みんな最初はできなかったんだ。失敗は失敗として次に失敗しないように スキルを身につけていこうな って思うと気持ちが楽であることです。

※ 自分ごととして捉えることは本エントリでは一切否定しません。最終的には次の行動に組み込んでいるので、自分ごと化されてる、という立場にいます。

Note 一覧へ >